贄代(にえしろ)の郷(さと) 伊勢神宮の贄代郷になった土地は、静岡県浜名湖の北岸、三重県多度山のふもとと、この知多郡の三か所だったことが倭名鈔に書かれている。 当町東大高の知里付神社のチリフは、イケスの古語で、市原地区の別曽池から秋葉池を経て酉首池に至る大小八つの池が水路でつながれて、イケスとなっていたものである。また大神宮記録に、垂仁天皇のとき、倭(やまと)姫(ひめの)命(みこと)、神宮奉斎の地決定のため、神器を奉じて知多へ巡行されたという記録がある。