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武豊町
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武豊町について

武豊町は、愛知県の知多半島の中央部、東沿岸に位置しています。 知多半島の温和な気候により、稲作、酪農、花(カーネーション)や野菜の栽培などの近代的な農業が発達し、 近年は化学製品、ガラス、薬品産業などが盛んになっています。

武豊町では、みそやたまりなどの伝統ある醸造産業が盛んに行われてきました。 また、武豊町は、港(武豊港)と鉄道(武豊線)に古い歴史があります。 武豊町の文化財、そして、みどころをお楽しみください。

武豊町のマーク(町章)
町のキャラクターマーク
みそ・たまり蔵
山車と鞘蔵
武豊線と転車台
長尾城址・長尾学校跡
庄屋屋敷
武雄神社
堀田稲荷神社・豊石神社
ぎゃらりぃ夢乃蔵
歴史民俗資料館
図書館・アサリ池

武豊のむかしばなし

▼ 竜宮神社
太郎が乙姫を偲んで、天長二年(825年)7月に建立。
おまえさまは、富貴村の東大高の、知里付神社という神さんの東南に、「負亀(おぶがめ)」という土地があることを知っとりなさるだろうか。
この土地には、浦島屋敷と呼んでいる一画もありますのじゃ。
浦島太郎が、助けた亀の背に負ぶさって、ここから出かけたから、負亀というているんで、りっぱな証拠ではござんせんか。
富貴(ふき)のことを、いろんなふうに言っとるようだが、この負亀を音で読みなさってごろうじろ。それ、フキと読めますじゃろうが。これが富貴という村の本当の意味と言えますまいか。
そればかりではござんせんよ。浦島川だとか浦ノ島という土地もありますのじゃ。この浦ノ島へは、海亀がたくさんやってきて産卵したもんだと、うちのじいさんに聞いたこともある。

この郷の氏神さんは知里付さんというて、近郷にも名高いお社じゃが、第11代垂仁天皇さまの26年菊月に建てられなさったという言い伝えじゃから、浦島太郎が故郷へ帰った天長二年よりも、ずうっと昔のお社じゃ。宮司さんに聞いた話じゃ、このお社には、浦島太郎の玉手箱がちゃんとしまってあるそうな。わしも覚えとるが、前のお社の棟瓦(むながわら)は亀の姿をしておったと思うがのう。
おまえさん、富貴の南の海岸に、四海波(しかいなみ)というとこがあるのを知っとりなさるか。
昔はこの辺は海のきれいなとこで、富貴では、終戦後も長い間、海水浴で大にぎわいしたもんだが、この四海波は、殊に景色がええところで、名古屋の金持ちの別荘が並んどったが、あすこの堤防で、じっと海を眺めてごらんなされ。波の形が変わっとるんで、昔の人は、竜宮城の入口だと言っとった。
わしがじいさんの話だと、あの浜辺は「うめきの浜」というて、浦島太郎が、玉手箱を開けたため、白髪(しらが)になってしもうて、くやしくてうめいた所じゃということだった。
この浜から一丁くらい西には、翁塚(おきなづか)という古い塚もあるし、浦島観音さんもまつられておる。
東大高の真楽寺というお寺さんには、ちゃんと亀のお墓が残されていますのじゃ。
昔、弘法大師さんが、こちらへおいでんさったとき、ああ、ここは浦島太郎の出生地だと言われて、燕子花(かきつばた)と松と竹を植えなさったのだが、燕子花は四季咲きになり、大正天皇さまが皇太子さんのとき、ご覧になりましたのさ。枯れてしもうたが、松は斑入(ふいり)になり、竹は年中筍(たけのこ)が出たそうな。
富貴の市場には「竜宮神社」という神さんがあって、富貴の浜が海水浴でにぎわったころ、ようお参りがあったものだったが・・・。
とにかく、これだけ証拠がそろっとっても、浦島太郎の土地じゃないと言われますかの。
武豊町は浦島太郎の故郷といわれる意味がおわかりになりましたか?
平成8年に武豊町で「浦島太郎探検隊」という会が有志により発足されています。
興味のある方はコチラをご覧下さい。→浦島太郎探検隊ホームページ

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