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武豊の偉人
たけとよの偉人

森田萬右衛門

森田萬右衛門の偉業

萬右衛門は、1852年(嘉永5年)富貴村の農家に生まれた。幼少の時には亀太郎といい、村の円観寺の寺子屋で二宮金次郎の話に感銘をうけ、世の中に役立つ人になることを誓ったという。
37歳で村会議員になった時、綿密に計画を立てて熱心に人々を説得して回り、ついに議会を動かして、森万新田とよばれる新田の開発に成功する。

森田萬右衛門

また、萬右衛門は新しい農業の方法を積極的に取り入れた。「短冊型なわしろ」といって、それまでの「べたまき」に比べるとずっとすぐれた方法だった。彼は、反対する人に対して真心をこめて説得して回り、やがてその方法のよさが分かった農民から大きな尊敬を受けるようになった。萬右衛門は木曽川からの用水の必要性も説いた。亡き後も知多市の久野庄太郎氏らに意志は引き継がれ1961年(昭和36年)に愛知用水が導水されることとなる。1934年(昭和9年)83歳で亡くなるまで萬右衛門はいつも人々のことを考えていたという。

森田萬右衛門ゆかりの地をたずねる

円観寺

円観寺は、室町時代の建立で白雲山円光坊と呼ばれました。
富貴城落城後、1574年(天正2年)にこの地へ移設され円観寺と改めました。護摩堂には珍しい、断酒絵馬、断賭博絵馬等が掲げられています。一説には富貴の開拓の父「森田萬右衛門」が村長時代に、乱れた村内を直そうと村人に奉納を勧めたのが絵馬の由来といわれています。※絵馬の見学は事前申込みが必要です。

円観寺円観寺の馬絵
電話 0569‐72‐0511
 

武豊町役場富貴支所

富貴支所前には村の発展に尽力した森田萬右衛門の像があり富貴地区を見守っています。

森田萬右衛門の像

教福寺

1555年(弘治元年)広目境に建立。1612年(慶長17年)にお堂を焼失し、1671年(寛文11年)に現在の地へ再建されました。森田萬右衛門家の菩提寺であり萬右衛門ゆかりの寺。萬右衛門の書(額)などが保存されています。また、近年改築され、本堂の軒には立川流による「豊干禅師」(ぶかんぜんじ)の彫刻があります。
※萬右衛門の書(額)の見学は事前申込みが必要です。

教福寺
電話 0569‐73‐0194
 

高橋煕(ひろし)

高橋煕さんは武豊駅の職員でした。昭和28年9月25日ここ知多半島に襲来した台風13号により、東成岩駅と武豊駅の間、ちょうど塩田のあたりの線路と道床が高潮により流されてしまいました。
その様な状況を知らず、列車は東成岩駅を出発して武豊に向かい走り出しました。
そのことを知った、高橋さんは、汽車を止めようと、嵐の中、カンテラを持ち発煙筒を焚き、東成岩に向かい列車を止めるべく走りました。
幸いにも汽車の運転手は気づき東成岩に引き返し、多くの人命は救われましたが、高橋さんは帰らぬ人となってしまいました。
1年後の昭和29年9月25日、高橋さんの功績を称え、全国の国鉄職員と小中学生の寄付により、像が建てられました。

高橋煕氏
たけとよの伝説と偉人たけとよ歴史と蔵のまち

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