愛知県知多郡武豊町観光協会ガイド

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第二話 付録(枳豆志の庄)

 知多郡史によると、当地が枳豆志庄として、鎌倉幕府の直轄領とされたのは、承久(じょうきゅう)の変(へん)のとき、伊勢神宮の贄代(にえしろ)郷(ごう)が天皇方に属して幕府に反抗したからだという。
 名越(なごし)遠江守(とうとうみのかみ)が地頭(じとう)となり、その代官が治めてきた当地も、鎌倉幕府の滅亡、建武(けんむ)の新政(しんせい)を経て、足利(あしかが)尊(たか)氏(うじ)が権力を握るに及び、戦乱で焼けた園城寺(おんじょうじ)再建のために寄付せられ、一部は柳原家の荘園となったが、その柳原家のつながりで、醍醐(だいご)三宝院の所領とされたため、修験(しゅげん)道(どう)の立場から熊野社の勧請(かんじょう)が盛んとなり、こうした伝説を生むことになったのだろう。

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