毎年七月の第三土曜日に手筒花火で勇壮な豊石祭が催される。午後七時半、潮に身を清めた若者たちが、ふんどし一つで、手に手に手筒花火を持ち、神前に円を描いて並び、一斉に花火に点火すると、シューっと音を立てて、美しい火花の柱がほとばしり出る。
やがて、山車(だし)の屋根に、町の若者の中から選び出された神男が上がり、竜の口になぞらえた大きな手筒の先から、二本の日を勢いよく吹き出させて左右に大きく振ると、山車(だし)は囃子(はやし)に合わせて前後に曳きさげし、壮観を極める。
昔、このあたりの海に、親子連れの竜が住んでいたが、娘竜は、人間との恋のため、父母の命を拒んで、人間の姿のまま、父竜の呼んだ稲妻に打たれて死んだという悲恋伝説が残っており、その霊を慰めるため、村人は山車に竜頭をしかけて祭礼を行うようになったという。(豊石神社発行、「火の祭と竜の恋」、神社本庁発行「神社広報第十五号」)
豊石神社は、須佐之男(スサノオ)命(ノミコト)・日本武尊(ヤマトタケルノミコト)・姫大御神(オオミカミ)をまつる村社で、美しい浜辺に由来すると考えられる。江戸中期までは、現在地より少し北寄りで、海に向かって建てられ、三河大浜の熊野社と向かい合い、海の守護神として崇拝されてきた。社紋の五三の桐は、中古のころ、八(ヤツ)剣(ルギ)大明神と呼ばれた古記録とともに、五七の桐の熱田神宮とつながりがあると考えられる。