ここに登場する堀田稲荷は、倉(クラ)稲(イネ)魂(タマノ)神(カミ)をまつり、天文5年(一五三六)の創建と伝えられ、延享3年(一七四六)の棟札には稲荷明神、嘉永3年(一八五〇)のは堀田稲荷大明神と書かれているので、江戸時代中ごろ以降から、現字名川脇の旧名を用いたものと思われる。もともと稲荷は、農耕の神であるが、江戸時代には商売繁盛・渡海安全・豊漁の守護神としても信仰され、対岸の三河や遠く美濃からの参詣も多い。
この昔話は、この神社の創建に醸造・海運の盛んな大足村とが結びついてできたものであろう。なお当社に江戸時代の算額が掲げられている。