高橋ひろしさんは武豊駅の職員で、昭和二十八年九月二十五日ここ知多半島に襲来(しゅうらい)した台風十三号により、東成岩と武豊駅の間、ちょうど塩田(しおた)のあたりの線路と道(どう)床(しょう)が高潮により流されてしまった。
そんなことになっているとはつゆ知らず、列車は東成岩駅を出発して武豊に向かい走り出した。
そのことを知った、高橋さんは、汽車を止めようと、嵐の中、カンテラを持ち発煙筒(はつえんとう)を焚き、東成岩に向かい列車を止めるべく走った。
幸いにも汽車の運転手は気づき東成岩に引き返し、多くの人命は救われたが、高橋さんは帰らぬ人となってしまった。
一年後の昭和二十九年九月二十五日、高橋さんの功績(こうせき)を称え、全国の国鉄職員と小中学生の寄付により、像(ぞう)が建てられました。