愛知県知多郡武豊町観光協会ガイド

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庄屋屋敷(しょうややしき)

江戸時代、三井家は代々長尾村の庄屋を務め、苗字(みょうじ)、帯刀(たいとう)を許され、登城(とじょう)も許された大庄屋(だいしょうや)として、近隣(きんりん)との折衝(せっしょう)をこなす等、重要な仕事をしていました。
当時、庄屋さんは、
一、 藩(はん)からの通達(つうたつ)の村人への周知(しゅうち)。
二、 農地、農作物の調査
三、 村人の把握と相談
等の仕事をしていた。
村の長として長年にわたり務め上げた三井家には、庄屋(しょうや)文書(ぶんしょ)などの長尾村等に関する貴重な文書が残され、約四萬点の蔵書(ぞうしょ)は現在、家長(かちょう)の好意により、武豊町(たけとよちょう)歴史(れきし)民族(みんぞく)資料館(しりょうかん)に保管され、町の歴史、文化、政治、災害、宗教などを知るうえで大変な貢献(こうけん)をしています。
県内外の研究家にも活用され、地方史(ちほうし)研究(けんきゅう)分野(ぶんや)での貢献は多大なものといわれています。
又、現存する母屋は、古式の建築法「四つ建て」と言われる建て方で、中心となる部屋の周りに太い柱を立て、梁でつなぎ、これを基に家を造る珍しい建築法で建てられています。
この柱の断面は、普通は正方形ではあるが、ここ三井家の母屋の中心となる柱は「長方形」で手斧で仕上げられております。
母屋の屋根は草葺(くさぶき)屋根(やね)(萱(かや)と藁(わら)の混合)に成っており、現在はその上を金属板で覆っています。
離れは、尾張藩(おわりはん)の役人などが泊まれる様になっており、知多半島の祭りに繰り出す(くりだす)山車(だし)の前壇(まえだん)を支える「力(りき)神(じん)」などの彫り物(ほりもの)で有名な初代「彫(ほり)常(つね)」が鑿(のみ)をふるったともいわれています。

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