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第十九話 夢のお告げ

 はい、私がこの富貴村の庄屋でございます。祖父の代から、引き続き村方一統の取りまとめをさせていただいております。え、この村の何か不思議なお話ですか。
はい、それでは祖父から聞いております正覚寺のお話を申し上げることにいたしましょう…。

「拙者は岡崎城五万石の主(あるじ)、水野忠善様のお側役(そばやく)田中(たなか)某(なにがし)と申す者でござる。そなたがこの村の庄屋どのでござるか。ご繁忙のところへ突然のじゃまで、まことに申しわけござらんが、実は主君忠善様の命により、たっての頼みがあって、まかりこした。」
――祖父の話に、たしか正保三年の春さきのことと申しておりましたが、いかにも殿様のご信頼厚いお側役にふさわしい、ご年配のお侍さまが、私どもの奥座敷で祖父を招いて、お話をされましたそうな。
身分違いの庄屋に対しての丁重なお言葉とものごしに、祖父は大切なご用向きのお話であろうと推量したそうでございます。
お侍さまのうしろの床の間には、白布に包んでご自身が捧げ持ってこられました仏さまが安置され、香炉には、これもご持参の沈香(じんこう)が、よい香りの青い煙を上げておりました。

 「庄屋どのへの頼みとは、ほかでもない。ただ今、捧持(ほうじ)してまいった薬師如来のご尊像のことでござる。
このみ仏は、行基(ぎょうき)菩薩(ぼさつ)の作と伝えられ、殿のご本家緒川水野家の念持仏(ねんじぶつ)でござった。
時は永禄三年六月、水野忠政様、四囲に備えて緒川城を修復された際、ご分家の常滑城主水野(ミズノ)監物(ケンモツ)忠綱様がお手伝いに参られ、ご尊像をまつるみ寺(・・)を建立したいとの、たっての懇望で、監物様にお譲りなされたものでござる
監物様は忠政様とのご約束の通り、長尾村景勝の地を選んで「竜頭山薬師寺」というりっぱなお寺を建てられてみ仏を納められたそうな。だが、ほどなく失火で寺は全焼、み仏だけは住持の手で難をまぬがれ、常滑城へお入りになられ申した。
常滑城では、忠綱様、山城守様、守隆様と、代々大切にお守り申し上げておられたが、守隆様が織田(オダ)信(ノブ)雄(カツ)様家臣岡田一党の反逆に加担されて失脚なされ、常滑城が取り壊された際、再び御本家水野忠重様のもとに戻られ申した。
ところが、主君の御父君忠元様、監物を名のることを許され申したについて、ご本家より、このみ仏、監物にゆかりありと、贈られ申したのでござる。

――お侍さまは、差し上げたお茶をゆっくり飲まれながら、昔を回想されるように庭の方へ目を向けられました。一息つかれたお側役様は、坐りなおされると、再びお話をなされました。

 「わが主君忠善様、将軍家の思(おぼ)し召しによって昨年三州吉田より竜城五万石の主(あるじ)に栄進あそばされたが、本年正月、不思議な夢をご覧になられた。
枕元に、白髪の老人が立たれ『汝(なんじ)、富貴(ふき)長久(ちょうきゅう)を祈るならば、是より西の方に勝地あり』と申された。夢から覚められた殿は、この老人の顔が、念持仏薬師如来であることに気づかれ、早速、富貴長久の地を探し求められたところ、知多の郡に富貴なる村のあることを知られ、尾張侯へご挨拶の後、こうして拙者をつかわされたのでござる。
この地は特に薬師如来様のみ心にかなった里であり、殿には御家隆盛のために、ぜひとも村の寺に安置してもらいたいとのお言葉でござった。なにとぞ、村の衆へよしなにお伝え下され。」

――祖父は早速、村の人々へ相談のうえ、正覚寺に薬師堂を建て、その仏さまをおまつりいたすことにしましたが、岡崎の殿様、尾張のご領主様からもご寄進があり、りっぱに竣工いたしましてございます。

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