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武豊地名考補遺

【地名の成り立ち】
もともと地名は、この地に初めて移り住んだ古代人が、自分たちの目じるしのために、土地の形や目立つ動植物にちなんで名づけたものが、現在に語り継がれたものと言えます。
しかし、人々が定住するようになり、個人や集団の所有地をはっきりさせる必要がおきてくると、昔の人は地名に番号を付けることを好まなかったのでそれぞれに地名をつけていき、現在のように複雑なものとなりました。
さて、古代、漢字が入ってくる前に地名があったはずで、文字の伝来と共に、その音に近い漢字を当てて用いたため、漢字の意味で地名の由来を考えるのは非常に危険です。
また、音の数も「富貴」のような二音は古い形で「長尾・大足・大高・市原」といった三~四音の訓読み地名は、その次に古い形です。五音以上の訓読みや漢音読みの地名は、平安時代以降の比較的新しい形と言われております。

【町内地名考】
①長尾地区
長尾―中尾とも呼ばれ、武雄神社を中心とする村で、昔はタケオだったという説よりも、尾は丘で、台地が長く続く姿を地名としたと考えた方がよいでしょう。

長尾城と武雄神社・長尾七宮ゆかりの地名
城―上ケ・下門・西門・馬場・高野前・小迎
社―金下・ヱゲ屋敷
七宮―祠峯・山ノ神・天神前・若宮・内鉋・白陵(現武豊中学校敷地)
長宗―長峯か。
中根―根は尾根の根か。
ヒジリ田―第十一話参照。
塩田―文字の通り。
アサリ池―阿闍梨の池。
西光寺池―岩田氏の菩提寺が近くにあったか(今、公民館)。

②大足地区
大足―オオタリが古名。山の東側を大垂、西側を大谷と呼んだもの。
明神戸―豊石神社の入口の地。
熊野・白山―お社にちなんだ地名。
掘割―本神戸川という川が、原田地区新池より現在のJR武豊駅西を通って、今の県道沿いに北へ流れ、成岩で今の神戸川と合流していたが、江戸時代初期に、成瀬隼人正が塩田を造るため、掘割によって海へ流すようにしたという。
前畑―部落前面の畑、前田も同じ。

③東大高地区
東大高―大高は大鷹のこと。贄代郷を示し、名古屋市の大高と区別するため、東の字を上につけたもの。
熊野西・熊野後―熊野神社があった所(現富貴中学校敷地)。
塔ノ下―源頼朝が知里付神社に寄進した大塔が建てられていた所という伝説がある。
瓶(びん)甕(かめ)―土師(ハジ)氏が盛んに土器を焼いた所という伝承がある。
山ノ神・鎮守―お社にちなんだ地名で、虫送りの最終地に山ノ神をまつったものと考えられる。
光明寺―富貴城主戸田法雲の館と菩提寺があった所と伝えられている。
浦ノ島―部落や海道の向かいの干拓地という意味か。昔は砂浜で、海亀が産卵に来たという。

④富貴地区
富貴―布木とも書く。富貴城の城下町として富み栄えたという説もあるが、地形から見て、海風の吹き上げの吹きか、着物の裾のフキか、中には蕗とする考え方もあり、定めがたい。二音は古い形で海岸に多い地名である。
富貴城ゆかりの地名―東門は城の東門を含む地域か。外面は城の外に広がる平坦地を示している。
市場―東浦海道ができてから発展した部落で、それまでは小漁村であったと思われ、海産物や他地区の商品の売買が盛んになってからの地名であろう。
鐘(かね)鋳(い)―布土心月斉の梵鐘を鋳造した場所と言われ、その際、音色をよくするため金製品を寄進したと伝えられている。
石神―修験道の聖地か。
一ノ坪・餅ヶ坪―坪は等しく区切られた土地を示し、開田当初は整然とした区画だったのであろう。条里制をあてるほどでもあるまい。

⑤市原地区
市原―昔、櫟原とも書かれているので、クヌギやナラなどの雑木(しいたけの原木)が多く生い茂っていた地区か。
寺東・寺後―岡川寺とつながりのある地名。

⑥昔、一部か全部が海の地名
大昔は、海岸は現在よりも西寄りであったらしく、長尾地区の高野前には汐来の地名が向田には鮫という所が残されている。しかし次第に土砂で埋まり、新田干拓もされて、現状のようになったのである。
下起・石川・北曲輪・塩田・浅水・中狭・道崎・瀬木・向田・川尻・石田・下田・道仙田・田崎・平海道・篭田…などが例。

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