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長尾学校

現在の長尾(ながお)学校(がっこう)跡(あと)は、明治九年十月に開校(かいこう)し、明治初期の教育に当たったもので、個人の家屋になっていますが、今なお教室及び職員室が残っています。
そこに立つ大きな杉の木は、その当時に植えられたもので、記念樹ともいえます。
当時は学校というより、「寺子屋」に近い建物であり、勉強とか学校運営もそのようなもので、現在の個人経営の学習塾のようなものであったと思われます。
初代学長は、皆(かい)満寺(まんじ)の長尾(ながお)永(えい)観(かん)住職があたったと言われています。
明治二十五年(一八九二年)長尾小学校として、明治三十五年まで開校し、その後現在の武豊小学校に移りました。
ここ、武豊の学校の成り立ちは
明治六年一月十日に長尾村大日堂(現在の大日寺)に明親(めいしん)学校が開校。
明治七年五月二十三日、大足村徳正寺愛敬(あいけい)学校開校
明治七年二月二十三日、富貴村円観寺に弘(こう)文(ぶん)学校の開校
これらは、寺子屋の施設を用い先生は寺子屋経験者が行った。
長尾地区は明治七年二月明新学校を大日堂(だいにちどう)から蓮(れん)花院(げいん)に移し庫裡を教室とし、境内(けいだい)を運動場としていた。
明治九年十月、長尾村、現在の武雄(たけお)神社(じんじゃ)の北側、坂田(さかた)藤(とう)十郎(じゅうろう)宅に移転し、明治十一年長尾村と大足村が合併(がっぺい)して武豊村となり、 明治三十二年六月、高野(たかの)前(まえ)一番地の場所に移転した。

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