第二話 枳(き)豆(ず)志(し)の石合戦
「おぅい、えらいこっちゃぞぉ。」
「西の郷(ごう)の連中が、熊野の権現(ごんげん)さまは、おれたちのもんだと言いくさる。」
「そんなむちゃなことがあるもんか。おれたちの面目にかけても、力づくで決着をつけにゃあなるめぇ。」
東の枳豆志の庄では、村人たちが大さわぎをしていました。
ことの起こりは、こんなことだったのです。伊勢の神領、贄代(にえしろ)郷(ごう)であった知多は、鎌倉時代に北と南に二分され、北半分だけを神領として残し、南は北条氏の幕府直轄(ちょっかつ)領地に取り上げ、鎌倉から名越(なごし)遠江守(とうとうみのかみ)という人が新補(しんぼ)地頭(じとう)となってきて、実権を振るうようになったのです。ところが、長尾から布土(ふっと)にいたる東の枳豆志の庄の人々と、樽(たる)水(み)から坂井に至る西の枳豆志の庄の村人とが、しっくりいかなくなってしまったのです。そしてとうとう、熊野社の帰属をめぐって爆発してしまうことになったというわけです。
連日連夜、東と西の長老たちは額(ひたい)を集めて何とか円満な解決をと努力したのですが、結局は平行線をたどるばかり・・・。
「おぅい。いよいよあした、石合戦で決着をつけることになったぞや。」
「ようし、あしたは目にものを見せてくれようぞ。」
とうとう、両郷の若者たちが石合戦をおこなって、その優劣で決めることになりましたのです。
……で、その結果はどうなったかですって……。
実は、東の郷(ごう)の衆も西の郷(ごう)の衆も、おたがいにおれたちが勝ったと言い張っとるんですよ。そして両郷(ごう)とも、りっぱな熊野のお社が鎮座ましましているんです。
いったい、どうなっているんでしょうかねぇ……。
でも、その合戦場には、小石が積み重なって残ったので、石田や石塚という地名が残っているのですよ。