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第十四話  浦島太郎の故郷(ふるさと)

「むかしむかし、浦島は、助けた亀に連れられて、竜宮城へ来てみれば、絵にも描けない美しさ…。」
今の子どもたちの中には、この歌を知らん子もあろうが、わしら年寄りの者には、とても懐かしい歌じゃ。
わしは、この浦島太郎は、この東大高で生まれて、富貴村に帰ったと、今でも信じとるんだ。
そんなばかな、あの話は丹後(タンゴ)の国や寝覚(ネザメ)の床(トコ)の話だと言わっしゃるが、ちょっと待っておくんなさい。
わしがそう信じとるのは、それなりのわけがありますのじゃ。まず、わしが話を聞いてもらいたいもんじゃ。
おまえさまは、富貴村の東大高の知里付神社という神さんの東南に「負(オブ)亀(ガメ)」という土地があることを知っとりなさるだろうか。この土地には、浦島屋敷と呼んでいる一画もありますのじゃ。
浦島太郎が、助けた亀の背に負(お)ぶさって、ここから出かけたから、負亀というているんで、りっぱな証拠ではござんせんか。
富貴(フキ)のことを、いろんなふうに言っとるようだが、この負亀を音で読みなさってごろうじろ。それ、フキと読めますじゃろうが。これが富貴という村の意味と言えますまいか。
そればかりではござんせんよ。負亀の東には、浦島川だとか、浦ノ島という土地もありますのじゃ。この浦ノ島へは、海亀がたくさんやってきて産卵したもんだと、うちのじいさんに聞いたこともある。
この郷の氏神さんは知里付さんというて、近郷にも名高いお社じゃが、第十一代垂仁天皇さまの二十六年菊月に建てられなさったという言い伝えじゃから、浦島太郎が故郷へ帰った天長二年よりも、ずうっと昔のお社じゃ。宮司さんに聞いた話じゃ、このお社には、浦島太郎の玉手箱が、ちゃんとしまってあるそうな。わしも覚えとるが、前のお社の棟(むな)瓦(がわら)は、亀の姿をしておったと思うがのう。
おまえさん、富貴の南の海岸に、四海波(シカイナミ)というとこがあるのを知っとりなさるか。
昔はこの辺は海のきれいなとこで、富貴では終戦後も長い間、海水浴で大にぎわいしたもんだが、この四海波は、殊に景色がええところで、名古屋の金持ちの別送が並んどったが、あすこの堤防で、じっと海を眺めてごらんなされ。波の形が変わっとるんで、昔の人は、竜宮城の入り口だと言っとった。
わしがじいさんの話だと、あの浜辺は「うめきの浜」というて、浦島太郎が玉手箱を開けたため、白髪(しらが)になってしもうて、くやしくてうめいた所じゃということだった。
この浜から一丁くらい西には、翁(オキナ)塚(ヅカ)という古い塚もあるし、浦島観音さんもまつられておる。
東大高の真楽寺というお寺さんには、ちゃんと亀のお墓が残されていますのじゃ。
昔、弘法大師さんが、こちらへおいでんさったとき、ああ、ここは浦島太郎の出生地だと言われて、カキツバタと松と竹を植えなさったのだが、カキツバタは四季咲きになり、大正天皇さまが皇太子さんのとき、ご覧になりましたのさ。枯れてしもうたが、松は斑入(ふいり)になり、竹は年中筍(たけのこ)が出たそうな。
富貴の市場には「竜宮神社」という神さんがあって、富貴の浜が海水浴でにぎわったころ、ようお参りがあったものだったが…。
とにかく、これだけ証拠がそろっとっても、浦島太郎の土地じゃないと言われますかの。

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