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第二十話  武 豊 の 神 話

(一)少彦名(スクナヒコナ)命(ノミコト)
それはそれは大昔のことです。
この土地に住む人々は、米や粟を作り育てることも知らず、穀物を口にすることもしませんでした。ですから、毎日、その日の食を手に入れるため、必死になって鳥獣を追い、魚を捕まえ、貝をあさって、わずかに飢えを満たしておりました。そのため、いつも空腹で、安らかに眠る夜は少なかったであろうといわれています。
ところが、あるとき天上から一人の神様が降りてこられました。少彦名(スクナヒコナ)命(ノミコト)と申し上げるこの神様は、哀れな人々の様子をご覧になられまして、荒地を切り開いて、千五百の田をおつくりになり、土地の人々を集めて、神様が天上から持っておいでになりました稲と粟の種を与えて、耕作のしかたをお教えになられました。おかげで、その後は、人々は食物に飢えることもなく、豊かな、満ち足りた毎日を送ることができるようになりました。
神様はそのほか、日照りに備えて各所に池を掘らせたり、害虫を追うまじないを教えられました。そのうえ、麻の糸で布を織る技(わざ)も教えられ、人々の病気も治してくださいました。
人々は、神様のお言いつけをよく守り、神様から教えを受けてか(・)も(・)した(・・)酒も、ほどほどに飲んで、朗らかに、楽しく日々を送りました。神様は、人の喜ぶ様子をご覧になり、いつまでも仲よく暮せ、互いに助け合い、争いをしてはならぬというご注意を与えられ、この地は後日、わが子孫で、この国の帝の祖となる天照大神をまつる社の神領となるであろうと言い残されて、熊野岬の方角へ飛び去ってゆかれました。伝え聞いた話によりますと、そこから常世の国へお渡りになられましたそうです。
さて、この地の人々は、神様のお教えを守り、農作業に精を出しましたので、田には黄金の穂が豊かに頭を垂れ、遠い国々からも種をもらい受けに来る者が後を絶ちませんでしたから、いつの間にかこの地は、千田(ちた)種(しゅ)林(りん)と尊ばれるようになり、そこから知多の郷と呼ばれるようになったのだそうです。
また、少彦名命の別名を久斯(クスノ)神(カミ)と申し上げました。町の樹に楠木(くすのき)が選定されましたのも、不思議なつながりを感じますが、このクスがキッシとなまって発音され、枳(キ)豆(ズ)志庄(シノショウ)のもとになったと伝え聞いております。
後に、垂仁天皇の二十六年菊月に、ヤマトヒメの命が天照大神の神霊を奉じてこの地においでになり、仮り宮をお建てになりましたが、人々はりっぱなお社に建て替えて、天照大神様と共に少彦名命もおまつりし、日夜お敬いをいたしております。

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