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第二十話 武 豊 の 神 話

(三)警固山
(二)の衣が浦のお話のあと、ヤマトタケルノミコトは、無事尾張へ帰りつくことができましたが、タテイナダネノミコトの亡くなられたことを聞いて、たいそうお悲しみになられました。しかし、どうするわけにもいきません。嘆き悲しむタマヒメノミコトに心からのお悔やみを申され、なぐさめられました。
さて、タテイナダネノミコトには、ミヤズヒメと申し上げる妹姫がありました。オトタチバナヒメを戦陣で失われたヤマトタケルノミコトは、絶世の美人、ミヤズヒメと結婚されることになりました。甘い蜜月の短い日々が過ぎていきます。
ところがある夜のこと、ミコトの枕辺に白発の老神が現れ、
「われは、熊野の権現なり。ミコトの身に危難迫れり。すみやかに神剣を返すべく、伊勢の大神のもとに至りて、親しく安泰を祈るべし。」
と、告げて消えました。
そこでミコトは、海路伊勢へお渡りになろうとして、知多の郡を南下して、キズシの庄に足を踏み入れられ、、知里付神社で泊られました。
ところが、天皇のお使いが後を追ってやってこられ、伊吹山に悪い神がいて、人々を苦しめているので、退治してまいれという命令を伝えました。
ミコトは、たった一人の悪神を打ちこらすなど、たやすいことだとお考えになり、伊勢へはそのあとで参向することにして、神社近くの山へ登って、三度はるかに伊勢の大神を遙拝(ようはい)されただけで、尾張のミヤズヒメのもとに帰ってしまわれました。ミコトが登って遙拝をされた山は、おそらく警固山のことであろうと言われています。
その後、ヤマトタケルノミコトは、クサナギの剣と改名された神剣をミヤズヒメのもとに残して、すぐ帰ってくるからと、勇んで伊吹山の悪神退治にお出かけになりましたが、イノシシに化けた悪神を見逃したために、毒に当てられ、ヒメと剣のことを思いながら、伊勢のノボノという所でお亡くなりになられてしまいます。古事記には、白鳥になって都の方へ飛び去ったと書かれています。
ミヤズヒメは、二重の悲しみにくれながら、ミコトが残していかれたクサナギの剣をおまつりしたのが、熱田神宮の始まりです。

――ヤマトタケルノミコトが伊勢神宮を遙拝されたと伝えられている警固山は、標高八十三メートルの小山ではありますが、四方の眺めがよく、敵の侵入に備えて、合図ののろしを上げる場所とされたので、この名が生まれたと言われます。
源頼朝が鎌倉に幕府を開き、父義朝の菩提(ぼだい)をとむらうため野間の大坊を訪れた帰途、この山の付近一帯で鷹狩をしたと伝えられています。
また、尾張藩主徳川光成も大規模な鷹狩をしたので、この山は、御成(オナリ)山・鹿(カ)狩(ガリ)山とも呼ばれたということです。

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