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武豊の味噌・たまりの醸造(じょうぞう)が盛んなわけ

ここ武豊が味噌・たまりの醸造が盛んに行われたのには三つの訳(わけ)があります。
一つには、知多半島の水が、カルシュウムやマグネシュウムウムを含むこ硬水であったことです。
水に含まれる、ミネラルが酵母(こうぼ)の働きを活発にし、味噌、たまりの醸造を進めるからです。

二つ目は、鈴鹿(すずか)おろしの風が吹き荒れる冬は、雑菌(ざっきん)の繁殖(はんしょく)が少なく、味噌の仕込みに適し、この地方特有の湿気(しっき)の多い夏場を越すと、味噌、たまりの味が美味しく醸造(じょうぞう)されます。

三つ目は、江戸時代、知多の半田を中心に栄えた酒造りが、明治にはいり、関西の灘(なだ)の酒(さけ)に押され廃業する酒屋さんが多くなり、使われなくなった酒の仕込み桶(おけ)や倉(くら)、又は同工具を味噌たまりの醸造に転用することができる為、再利用することで容易に味噌、たまりの醸造の創業ができたことが大きな要因ではあるが、その他に 名古屋などの都市部を中心に味噌、たまりの需要が増加したために、酒造業(しゅぞうぎょう)からの転業(てんぎょう)が相次(あいつ)いだ。
四つ目は、酒造りには大きな資本が必要としますが、味噌、たまりの醸造には小規模の家族経営で創業ができたことも大きな要因といえます。
中には、明治の初め、数本の六尺桶で営業していた、蔵元もいたといわれます。

[資料]
元禄十年 知多郡 酒屋数 百十四軒
一六九七年 酒造家  長尾村三軒  大足村一軒
富貴村一軒
一九六九年 田中酒造所(田中平右衛門)創業

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