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転車台

明治五年九月十二日、我が国最初の鉄道が新橋・横浜間に 開通(かいつう)、その後関東と関西を結ぶ幹線(かんせん)鉄道(てつどう)のコースにおいて中山道(なかせんどう)案が有力視されてはいたが、結局は東海道(とうかいどう)を通すことになり、すったもんだはあったが、資機材専用線として明治十九年三月熱田・武豊港間の武豊線が開通しました。
転車台は、武豊港に運び込まれた荷物(資(し)機材(きざい))と運搬するための貨車及び汽車の方向を変えるための台のことで、中央に主軸(しゅじく)をもち、台の端に数個の車輪(しゃりん)を備え、台を回転することで貨車及び汽車の方向を変える方法で、当時は人力により転車台を回転していたようです。
転車台は昭和三十年の調査によれば、国内では四百七十台存在し、そのうちの十一台のみが貨物専用の転車台で、その殆ど(ほとんど)は一線式転(いっせんしきてん)車台(しゃだい)であるのに対し、ここ武豊港の転車台は、他に類を見ない、おそらく日本でここしか無いであろう「直角二線式転(ちょっかくにせんしきてん)車台(しゃだい)」です。
現在日本にはここにしか無いでしょう。
明治三十四年、おおよそ百年前、シェル石油の前身でもある、「ライジングサン石油油槽所(ゆそうじょ)がここ武豊港に開業し石油を移送するための引き込み線が敷かれた。
そのレールの外周は半径65mで、創業(そうぎょう)当初(とうしょ)は十トンタンクに石油を入れ人力で本線(ほんせん)まで押し、そこから機関車(きかんしゃ)で中部圏(ちゅうぶけん)に移送していたが、石油の需要(じゅよう)が高まり、移送(いそう)効率(こうりつ)を上げる為、タンク容量(ようりょう)が二十トンに大きくなった。
そのため、荷重に耐える為、タンクを乗せる貨車も大型化され、車軸(しゃじく)も従来の二軸(にじく)から三軸(さんじく)の台車に変わった。
三軸の台車を半径65mのカーブを移動するには、車輪とレールが摩擦してとても人力の移送はできなくなりここに転車台を設置、より効率化と労力の軽減(けいげん)を図るため直角二線式の転車台がここに造られた。
古い地図によれば、ここから港の方に行ったところに直径5mの転車台が記されているが、現在は無い。
この転車台はタンク台車に合わせ直径7mあり、もちろん人力により回転していました。
武豊港(たけとよこう)線(せん)が昭和四十年に廃止されそのまま放置されていたが、平成十一年総合(そうごう)学習(がくしゅう)で訪れた小学生が発見「これは、えらいものが見つかった。」と調査した結果、非常に貴重な資料と考え整備保存されて、平成二十一年「国の登録(とうろく)有形(ゆうけい)文化(ぶんか)財(ざい)」に登録(とうろく)された。

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