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第十話 「馬の首が出るぞよ!」

 昔の子どもは、家のお手伝いをよくしました。明治のころまでは、村中ほとんどが農家ばかりで、両親は足もとが見えなくなるまで田畑の仕事に精を出しました。何しろ、農耕機械や農薬・化学肥料がなかったのですから、全部人の手で耕し、草を抜き、虫を捕ったのです。そして、自分の畑には雑草が一本もなく、土も油にぬれたように黒々と光っているのを自慢し合ったものでした。
ですから、子どもたちも、親たちが帰ってくるまでにしておかなければならない仕事がたくさんありました。例えば、風呂わかし、洗濯、掃除などです。
野らから汗やほこりまみれになって帰ってきた親たちは、すぐ風呂へ入り、さっぱりした着物に替えたいでしょう。ですから、暗くなるまでに風呂をわかし、のりのきいた着物を出しておいてあげる…これは子どもたちのつとめでした。
コックをひねれば水がほとばしり出るといった時代ではありませんから、どこの家も、遠くの井戸から「つるべ」で水を汲み上げ、水桶で運んできたものです。山へ行って「ご(・)」(松の枯葉)を掻き集めてきたり、藁や枯草を焚いて、わかしたものです。これはおもに男の子の仕事でした。老人のいる家庭では、火焚きは老人の役目になっていました。女の子は、野ら着などの洗濯をしました。そのほか、農繁期の手伝い、おかいこの桑摘み、はた織り、炊事手伝いなども待っています。
でも、みんな、よく遊びました。遊ぶために、自分の仕事をできるだけ速くやってしまうよう、いろいろとくふうしました。そしてみんなのいる所へ飛んでゆきます。
鬼ごっこ、山のぼり、すべりっこ、おしくらまんじゅう、おはじき、まりつき、ままごと、どんぼち堀り(ぽんつく)、水遊び…など、遊びはいくらでもありました。しかし、夢中になって陽が陰りかけたのも知らずにいると、大変なことになります。お父さんの雷が落ちるからです。
市原村は、東の郷と西の郷に分かれています。両方の郷の間は水田で、その中程を通称「大高川」という小川が流れていて、「大橋」という土橋がかかっていました。
東の郷と西の郷の子供たちは、大変仲がよくて、よく遊びました。昨日は西の郷だったから、今日は東の郷にしようやというわけです。
でも、あまり遅くまで遊んでいると老人たちは、
「大橋で馬の首が出るぞよ!」
と大声で言います。すると子どもたちは、みんな、くもの子を散らすように、急いで家への路を駆け出します。
昔、市原村の西に馬の死骸を埋める谷がありました。大雨の後など、死馬の頭が飛び出していたこともあったのでしょう。土地によっていろんなおどかしがあったものです。

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