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第十二話 小桜姫

今日もまた、雨がしとしと降っていました。夜を迎えた富貴の里は、煙雨の中でひっそりと静まりかえっていました。
のんびりと、そだをくべながら、老婆は一日の畑仕事で快く疲れた体を畳に横たえて、うとうとしかけていた息子に、思いついたように話しかけました。
「のう、吾作よ。また今夜も、小桜さんの火の玉が通っていきなさるじゃろうか。」
「…うん、きっと通っていくじゃろう…。」
二人は、遠くを見る顔で、パチパチ音を立てて燃える、そだの火を見つめていました。
平和な富貴の里は、どの家も雨戸を閉めて、深い眠りに入っていくようでした。

 ずいぶん前から、雨がしょぼしょぼ降る夜に限って、不思議な火の玉が出るのでした。
「この道を右へ行った。」
「いんや、ここを左へ通った。」
見た人の話は、場所も方角もまちまちでした。そして、平穏なこの村里に、火の玉の話が広がると、よし、ひとつその真偽のほどを確かめてやろうという若者が二人現れました。
今日もまた、しとしとと雨が降っています……。
二人は、み(・)の(・)だけつけ、手ぬぐいで頬かむりして、清応院(せいおういん)の西の小路(こみち)へ出かけていきました。寺の腰を回っていく狭い道はしっとりとぬれて、道端の松林の枝から、ぽつぽつとしずくが落ちています。
…どのくらい、林の陰に身をひそめていたのでしょうか。身にしみる冷気に、思わず身震いし合ったとき、青白い鬼火がゆらゆらと現れてきました。思わず、どちらからともなく、固く手を握りしめ合って、凍ったように息をのんでいる二人の前を、小さな尾を引いた火の玉が、静かに通り過ぎていきました。
二人は、勇をふるって、そのあとをつけてみることにしました。
鬼火は、青白く燃えながら、その小道をゆっくりたどっていきます。なんとなく、ヒタヒタと、女の人のぞうりの音が、かすかに聞こえてくるようでした―。
そして、一丁余も歩いたことでしょうか、火の玉は、白山神社の境内に、すうっと、吸い込まれていきました。
こ半どき、大木のかげで、暗やみをすかしていた二人が、とうとうあきらめて腰をうかせかけたとき、鬼火は再び姿を見せ、ゆらゆらと、もとの道をたどりだしました。思いなしか、その歩みは、前よりもゆったりしていました…。
鬼火が、そこから三丁ほど離れた、小高い丘の上の、松林に囲まれた、里人の信仰厚い小桜姫の塚に消えていったのを、二人の若者は見とどけたのでした。
…そして、この小桜姫の塚には、こんな悲しい物語が語り伝えられてきています。
「おお、おいたわしや。どこぞのお方かは知りませぬが、だいぶお苦しみのご様子、むさくるしくはございまするが、まずは、わしらがあばらやへお越しなされませ。」
慈悲深い布木の里の老農夫は、道端に突っ伏して苦しむ若い女の、その背をさすりながら、おろおろと途方にくれている若者に声をかけました。
粗末な旅装束に身をやつしてはいても、整った顔立ちと、にじみ出る気品に、思わずはっと頭の下がる尊さがあふれ、かたわらの若者も、身分ある都の人と知られました。
折から来あわせた村人たちも、ともどもに手を貸し草ぶきの家に引き入れて、温かいかゆと、心のこもる薬湯が供せられ、旅人二人の顔にようやく安堵の表情が現れ始めました。激しい痛みも薄らいで、おだやかな眠りに落ち入っている年若い女子のかたわらで、ほっとした面持ちで、若者は老人に語りかけます。

「このお方は、小桜姫と申し上げ、帝の御姫君におわします――。」
ご幼少のころからご利発で慈悲深く、帝はもとより、母君の掌中の玉といつくしまれ、御側(おそば)の人々にも蝶よ花よとかしずかれて、都(みやこ)一(いち)の美形は、人々のあこがれの的(まと)でありました。
「わたしは、藤原の某(なにがし)と申し、禁中に仕える公家人である――。」
自分から言うのも、はばかりがありますが、管弦(かんげん)詩歌(しいか)の道に秀(ひい)で、帝の御覚えもめでたく、わがむこにと望まれる貴人もあまたありました。だが…、加茂の葵(アオイ)祭の日の出会いは、この二人の心を固く結びつけ、互いに楽しい先の日を夢見る間(あいだ)がらとなってしまったのでした。
時に帝は、重い病に苦しんでおられました。都はもとより、全国各地で加持祈祷が行われ、神仏に手を合わせたもう日々が続きました。
ところが、ある夜、帝は夢に神のお告げを聞かれました。
『三河の国は岡崎の里に、築山稲荷と言える一社あり。この姫君を下した(くだした)まいて、終生、国家安全・五穀豊穣を祈らせたまわば、ご本復、ゆめ疑うことなし…。』
帝は、やむなく、小桜姫に下向を申し渡されました。
――春を夢見て、幸せいっぱいであった相思相愛の二人にとっては、この勅(ちょく)定(じょう)は、まことに青天のへきれきでした。だが、一度(ひとたび)下された帝のお言いつけをかえていただくことは、かなわぬ望みでした。

 思いつめた二人は、おののく小鳥のように、手を取り合って、都を逃がれ出し、はるか東国の方に姿を隠すことを決意したのでした。
示し合わせた二人は、夜の闇にまぎれて、都からその姿を消しました。

 小桜姫と男の逃亡は、間もなく天聴に達しました。
帝のお怒りは、たいへんなものでした。即刻、国々に追討のご沙汰が下がり、速やかに藤原某を討ち取り、姫は都へ連れ戻せとのお達しでした。
旅のうわさと道中の厳しい取り締りから、陸路の逃避行は、とても無理と思われました。二人は、海路東国への便を得るため、ようやくの思いで、この布木の里にたどりついたのでした。

 里人は親切でした。船の便りを待つ間、なんとかおかくまい申し上げ、互いに、このことゆめ漏らすまいぞと、固く誓い合いました。
しかし、暖かい村人の心遣いも、恋人の強い励ましも、小桜姫の健康を取り戻すことはできませんでした。深窓に愛育されてきた姫君の身には、長い旅路と心のおののきは、あまりにもむごすぎたのです。
姫のからだは衰えていくばかりでした。床についてしまった恋人の平癒を祈るため、公家は、白山神社へ百度参りの参籠(さんろう)を始めようと思いたちました。
だが…、それは、悲しい結末を招くことになります。討ち手が待ち受けていたのです。
公家は、姫に心を残しながら、非業の最期を遂げ、姫君は都へ引っ立てれらることになりましたが、生きる張りをすっかり失ってしまった小桜姫は、亡き恋人の名を呼びながら、ついに帰らぬ人となってしまいました。
里人は悲しみました。泣く泣く、哀れな姫君を丘の上に葬り、形ばかりの石を建て、樹木を植えて、小桜姫の塚としました。
そして、朝な夕なに塚を供養することを忘れませんでした。塚のまわりは、いつもきれいに掃除され、水と四季折々の花が飾られています。
今を去る九百年くらい前の悲しい物語りです。
そして…
お参りする者に、不思議な霊験が現れるようになりました。
塚の白石をお借りして、からだの悪いところを一心こめてなでていると、だんだん良くなってきたので、お礼まいりに、石を倍にしてお返ししたと喜ぶ人が出ました。森に生えている七草を採ってきて煎じて飲んだら、病気が全快したので、お礼に七色の草を植えてきたと語る人もありました。
また、小桜姫を守護して京より下ってきた白狐があり、白蛇とともに塚をお守りしているので、塚を掘り起こそうとすると、からだがしびれて動けなくなると、恐れられています。
そして…
しょぼしょぼと小雨の降る晩には、恋人を慕う小桜姫の霊が火の玉になって、横死の地白山神社へ通われるのを目撃した者が多くなりました。
今も、富貴の人々は、小桜様を大切にお守りしております。

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